リバプールとマンチェスターの歴史《後編》
さて、今回もいつもどおり3部作となってしまいました笑
今朝からお送りしている「リバプールとマンチェスターの歴史」。
今回は最終回となる後編になります。
中編でマンチェスターに裏切られたリバプール。
その時、リバプール市民が言い放った『俺たちの金でお前たちは生まれ変われた』という言葉。
・・・実際は言ったかどうかわかりませんけどね笑
その意味とは何か?
産業革命より昔、中編の最後にて匂わせた17世紀のリバプールとマンチェスター間に何があったのか!?
その謎を今回は紐解いていきます!
注)
このブログは史実には基づいていますが、大分脚色されています。
不快に思った方は、そっとこのブログを閉じて下さい。
■大都市「リバプール」
18世紀半ばから19世紀まで続いた「産業革命」。
これによりイギリスは産業大国として飛躍的な成長を遂げました。
これは間違いない事実です。
では、それまでのイギリスは先進国では無い、いわゆる「後進国」だったのか?
答えは「NO」です。
イギリスは産業革命前も先進国の1つだったのです。
・・・では、どんな産業で先進国となっていたのでしょうか?
答えは「奴隷貿易」です。
イギリスは奴隷貿易で世界の先進国として名を馳せていたのです。
そして、その産業を担っていたのが港のある、大都市「リバプール」なのです。
■村から都市へ
元々リバプールは小さな漁村でした。
当時の産業のメインは漁業だったのでしょう。
そのリバプールが突如17世紀末から急速な発展を遂げます。
理由は「奴隷貿易」。
内容はアフリカの奴隷を買い付け、新大陸に売るというモノ。
これにより、小さな漁村であったリバプールはフランスのマルセイユやナントと肩を並べる様な、
巨大な奴隷貿易港として世界に名を馳せるようになります。
無論、現代の目線からすればその産業は人種差別の最もたる対象になります。
人類の歴史から見ても最悪なる商業の1つでしょう。
しかし、イギリスがこの奴隷貿易で世界の先進国として成長したのは紛れもない事実です。
そしてイギリスの経済発展を促したのはリバプールだったのです。
■そして、「産業革命」への礎に・・・
奴隷貿易による大都市リバプールはリバプールそのものに、ひいてはイギリスという国に、
莫大な売上を献上することに成功しました。
そして、イギリスは次のステップへ移行することを決断しました。
・・・それが、綿織物業です。
植民地から大量に綿を仕入れ、大量に加工し、諸外国に売ることでさらなる経済発展を遂げようとしたのです。
イギリスはリバプールの奴隷貿易で得た莫大な資金をある街につぎ込む様にしました。
きたる「産業革命」の為の布石です。
・・・そのある街というのが、「マンチェスター」なのです。
マンチェスターはリバプールから得た莫大な資金を元に巨大な工業施設を建設。
そして1830年には世界初の営業鉄道が開設。
この鉄道はリバプールとマンチェスターをつなぎ、陸輸による綿織物の運送を容易にしました。
そして奴隷貿易で培ったリバプールの港として機能、そしてリバプールの資金で作られた工業都市マンチェスターの活躍により、
イギリスはさらなる経済発展を遂げ、後の世に伝わる「産業革命」となっていくのです。
いかがだったでしょうか?
後編は奴隷貿易を中心としたリバプールの発展とマンチェスターの発展を記載しました。
奴隷貿易という方法はさておき、歴史的見方をすればリバプールがマンチェスターを発展させたというのも、
あながち穿った見方では無いのかもしれません。
そうなると、リバプール市民の言う、「マンチェスターが裏切った」という構図もなんとなく見えてきます。
実はリバプールとマンチェスターという対立構造にはこんな歴史的背景があったのです。
それが、現在はサッカーというスポーツを介した代理戦争みたくなっているとのことです。
・・・ここまでお話しておいてアレですが、
個人的にはこの歴史的背景を知ったとてお互いのクラブに対しての感情に変わりはありません笑
リバプールのマンチェスター・ユナイテッドに対するバチバチ感や、
タックルやゴールを決めた時のリバプールファンの盛り上がりが大好きなのです。
しかし、教養としてこの歴史的背景は知っていて良かったなと思います。
2大都市の代理戦争として、純粋なサッカーファンとして、このナショナルダービーを全力で楽しみたいと思います。