リバプールとマンチェスターの歴史《中編》
今朝からスタートしています「リバプールとマンチェスターの歴史」。
今回はその中編になります。
どうして、リバプールとマンチェスターはここまでライバル視しているのか?
しかも全く良好な関係ではありません。
その謎の一部がこの中編にて解き明かされます。
注)
このブログは史実には基づいていますが、脚色はしています。
不快に思った方はスミマセン。
■裏切られたリバプール
産業革命当初、リバプールが綿を大量に仕入れ、マンチェスターがその綿を加工して綿製品を作る。
それをリバプールが諸外国に届ける。
この2大都市の連携により、イギリスは経済的に大きな成長を遂げていました。
その中にはお互いの密接な信頼関係、連携があったことでしょう。
サウサンプトンの様な港と連携を組むより距離的なメリットもありますしね。
※当時サウサンプトンが海運業をやっていたかは知りませんが笑
しかしながら、
連携をしているとは言え、リバプールはマンチェスターにとっての外注先です。
要するにお金を払っている訳ですね。
そこでマンチェスターはあることを考えます。
「この利益を独占できないか?」
・・・そしてマンチェスターは1894年にマンチェスター・シップ運河を完成させ、
リバプールを介さなくてもビジネスを成立させることに成功したのです。
これによってマンチェスターは綿織物業での売上アップに成功。
さらなる経済的発展に繋がり、世界的な産業大国として成長しました。
・・・では、リバプールはどうなったのか?
メインの取引先であったマンチェスターからの依頼がなくなったのです。
無論、その経済的ダメージは計り知れませんでした。
いつの間にかリバプールはマンチェスターとの経済レベルについていけなくなり、
かたやマンチェスターはロンドンと並ぶイギリスの大都市、
かたやリバプールはイギリスの中の、港がある田舎都市レベルとなってしまいました。
・・・今まで、2都市間でイギリスの軸となる産業を築き上げ、
そして、2都市間でイギリスの産業を盛り上げてきました。
それが、マンチェスターの運河開港による市場の独占。
もちろん、仕事がなくなれば都市間で貧富の差が生まれてきます。
「俺達が今まで綿を仕入れて、そして運んでいたのに・・・」
「俺達がお前たちの産業を支えたのに・・・」
「そもそも『俺たちの金でお前たちは生まれ変われた』のに!」
・・・いつしか、リバプール市民はマンチェスターに対して「裏切られた」という敵意を持つようになったのです。
いかがだったでしょうか?
イギリスを産業大国まで押し上げた2大都市、リバプールとマンチェスター。
しかしながら、突如マンチェスターの市場独占によりリバプールは取り残されることになります。
その気持たるや・・・
しかし、『俺たちの金でお前たちは生まれ変われた』。
これは何を意味しているのでしょうか?
後編は産業革命より昔の出来事を書きたいと思います。
・・・そのカギは17世紀まで遡ることになります。
続きは夕方に更新します!