ヒルズボロの悲劇
■国内外の反応
■その後
※ヘイゼルの悲劇
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ヒルズボロの悲劇
1989年4月15日にイングランド・シェフィールドのヒルズボロ・スタジアムで行われた、
FAカップ準決勝のリバプール対ノッティンガム・フォレスト戦。
「テラス」と呼ばれるゴール裏の立見席に収容能力を大幅に上回るファンが押し寄せ、死者96人、重軽傷者766人を出す惨事となりました。
このことから、イギリスのスポーツ史上最悪の事故と評されています。
詳細は観客が密集したことによって基準を上回る重さが掛かったことにより、ブロック内を隔てていた安全柵が崩壊し、将棋倒しが発生。
観客はお互いの体に押しつぶされていました。
その頃、指令室ではピッチへ難を逃れようとするサポーターの存在を確認。
しかし、試合の乱入と勘違いをし、スタジアム内に併設された体育館に待機する警官に対してピッチへの出動を要請しました。
一方、スタジアム内の警備主任のグリーンウッド警視は状況を把握し、指令室に対し無線を使い試合の停止を要請。
しかしながら、その要請は受信されなかったため、事態の収集がつかないと判断したグリーンウッド警視は試合を停止させるために主審の下へ向かいました。
グリーンウッド警視がピッチ内にいるルイス主審に向かって試合中止を指示し、やっと試合は中止になりました。
ブロック内にいた犠牲者は意識を失っており、酸欠状態の観客は嘔吐や失禁、そして亡くなった人も。
Hillsborough Disaster: How it happened in 1989 - YouTube
この事件により、リバプールのジョン・スミス会長はフットボールリーグやFAカップの試合参加を当面の間は延期することを発表。
FAはヒルズボロの犠牲者に対し喪に服すため、リーグ戦を2週間延期したしました。
中止されたFAカップ準決勝について、リバプールはFAから再試合に応じるか回答を求められましたが、遺族からの要望もあって出場が決定しました。
再試合はマンチェスター・ユナイテッドのオールド・トラフォードで行われることになりました。
国内外の対応
サッチャー首相は事故原因の解明を指示。
同じくして、ダグラス・ハード内務大臣やコリン・モイニハンスポーツ大臣らと現場を視察し、
その後、サッカー観戦の新しい規制を設ける可能性を明らかにしました。
元首のエリザベス2世はシェフィールド市長宛に、見舞いのメッセージを送り弔意を示しました。
負傷者が入院している病院にはサッチャー首相、モイニハン・スポーツ大臣、チャールズ皇太子、ダイアナ妃らが見舞いに訪れ、
同日に行われた犠牲者の追悼ミサにはケニー・ダルグリッシュ監督やアラン・ハンセンをはじめとしたプレーヤーらが出席。
ダルグリッシュはその後も犠牲者の葬式に都度参加していった模様。
その中にはジェラードの従弟も。
一方、ミラノで行われたUEFAチャンピオンズカップ 88/89準決勝2ndレグのACミラン対レアル・マドリード戦にて、
試合開始から1分後に主審のアレクシ・ポネにより一時中断され犠牲者に対して黙祷がささげられ、
観客からは「ユール・ネバー・ウォーク・アローン」が歌われました。
ゼップ・ブラッター総務主事は「90/91シーズンに予定していたイングランドのUEFA主催の国際大会への復帰は厳しくなった」という声明を発表しました。
その後
事故から20周年を迎えるにあたり、全記録文書の開示を求める機運が高まると、
同書の調査を目的とした「ヒルズボロ独立調査委員会」が設立されました。
その後の調査によると、2012年に公表された報告書により、
◯観客誘導の不備
◯緊急サービスの遅延や不十分な医療措置
◯警察関係者により捜査資料の改ざんや意図的な情報誘導
上記のことが明らかになりました。
そして同年12月、高等法院は死因審問の評決を破棄し審理のやり直しを命じると、
2016年に同法院は警備責任者の過失を認め、犠牲者は不当に亡くなったとする評決を下しました。
リバプールのエンブレムの両脇にある炎は「ヘイゼルの悲劇」、「ヒルズボロの悲劇」の2つの悲劇を追悼したモノになります。
最近、エンブレムを一新したリバプールですが、未だに両脇の炎のエンブレムを使うのはこの2つを忘れないという部分もあるのでしょう。
この様なことが2度と起こること無きよう願いながら、
私自身も備忘録の1つとしてこの記事を残しておきます。