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liverpoolの戦術や長めの雑記ネタを中心としたブログです。1記事3~5分くらいの文章になりますので、お手すきの際にどうぞ♪

マージーサイド・ストーリー ~ヘンダーソン~



◼️レッズのキャプテン、ヘンダーソン
◼️多くの挫折を乗り越えたストーリー!
■その一部を紹介します!


今回は我らがキャプテン、ヘンダーソンの紹介をします。


今こそレッズのキャプテンを担い、代表ではアンカーを、ここ最近のレッズの公式戦ではRCMFで活躍していますが、
その軌跡は全く平凡なモノではありませんでした。



彼のキャリアはいくつかの悲劇と、それを超える膨大な努力によって形成されていると言っても過言ではありません。
その悲劇と膨大な努力、それによって彼がどう進化してきたかを追っていきたいと思います。


それでは、どうぞ。




鳴り物入り



彼は元々Box To Boxのプレーヤーで、サンダーランドから鳴り物入りで入団してきました。
当時、ヘンダーソンについて囁かれていたのが「ジェラード、ランパード2世」。


Uー21代表でのキャップ経験もある彼の移籍はベテランの領域に差し掛かり、
怪我しがちで出場数が減り始めたジェラードの後がまを担うプレーヤーとして期待されていました。



豊富な運動量と緻密なキックを武器にサンダーランドで活躍。
20歳前半ながら得点やアシストもしていた彼なら将来的にジェラード、もしくはランパードの様になれるのではないかと言われていましたね。

しかし、それらの期待は時として障害になってしまいます。




「周囲の期待が大きすぎた」




言ってもまだ20歳そこらの人間です。
戦術や生活環境、レッズそのものにも慣れないといけません。

多感な時期に環境を変えることはある意味リスクでもあるのです。


さらに彼が背負っていたモノは「ジェラード・ランパード2世」


その重圧たるやはかり知れません。



・・・そして追い討ちをかける様な出来事が。



当時、彼が任されたポジションはRMF。
きっとキック精度と運動量でサイドを支配できるという判断だったのでしょう。

ただし、当時のレッズの右サイドはRSBにジョンソン、フラナガンがメイン。
この右サイドは攻撃力があれど、チーム全体の守備組織が構築できなかったため弱点になってしまいました。




彼も攻守に奔走していたかもしれませんが、バックパスや横パスが目立ち、
前線に供給するパスがあまりありませんでした。

結果的に、彼はRSMFで活路が見いだせず、
たまにCMFで使われたりするものの、司令塔のアダムや
守備アンカーのルーカス、スピアリング、そしてキャプテンのジェラードがいたためにセカンドチョイスに終わり、
サイドでコンディションが上がらないまま11-12シーズンが終わりました。




戦力外通告


そして12-13シーズン。
ブレンダン・ロジャーズ政権になるにつれてさらに出場機会が制限されます。

シャヒン、そしてスウォンジー時代の教え子ジョー・アレンの台頭により、
試合にすら出場できなくなりました。


理由としてはロジャーズの掲げるパスサッカーにへンダーソンの弱点がモロに響いてしまった為です。
・・・ヘンダーソンの弱点については次回のブログにて後述しましょう。



そして突きつけられる現実。




ロジャーズから「移籍先を探してもいい」と言われたそうです。



これは事実上の戦力外通告です。
一時期は「ジェラード・ランパード2世」と言われていた彼のキャリアが今消えつつあったのです・・・


しかし、彼は諦めませんでした。


ポジショニングの修正をはかりながら得意の運動量を駆使し、
パスサッカーの戦術下であがき続けました。


その時、ロジャーズは彼の中に何かを見出したのでしょう。
ロジャーズの戦術を彼に叩き込んだそうです。


・・・ついにシーズン後半にはスタメンに返り咲きます。
そして、相手の戦術次第でCMFでヘンダーソンもしくはアレン、さらにLMFとしても活躍していました。



もうそのころには、彼はレッズにとって貴重な「心臓」として機能していたのです。




【不治の病】


13-14シーズン。
キャプテン・ジェラードがアンカーにポジションチェンジし、アレンや後半はコウチーニョと組んだ中盤は、
当時のPLを席巻したスアレススタリッジSASスターリングを爆発させるに足るプレーをしていました。

そして、その中でもヘンダーソンは運動量に陰りの見えていたジェラードや、フィジカルコンタクトの弱いアレンやコウチーニョの代わりとして、
攻守において多大な貢献をしました。


それこそ彼がいないとチームが機能しないほどに。


事実、シーズン後半で彼が退場した後の試合は散々たるモノでした。
あの頃、ヘンダーソンさえいてくれたらPL制覇だって夢ではなかったかもしれません。


そして、惜しくもPL制覇を逃したレッズ。

14-15シーズンは、ファンからは「次こそは優勝を!」と期待されていましたが、スアレスの移籍やスタリッジの負傷、
望みのスターリングも当時は独力での打開が期待出来ず、チームとしては6位に低迷。


猛威を振るっていたSASの時代は1年しか持ちませんでした・・・


しかし、一方のヘンダーソンは副キャプテンにも任命され、出場数も歴代トップの年間54試合に出場。
得点も7得点と、この時期がBox to Boxプレーヤーとして最盛期を迎えます。




そして15ー16シーズンでジェラードの後を継ぎ、新キャプテンに任命された彼は新たなレッズのアイコンとして、
国内で、欧州で光り輝く・・・はずでした。





足底筋膜炎(そくていきんまくえん)。





足の裏からかかとにかけて伸びている腱組織が炎症を起こすことによって起きる病気であり、
本人曰く「足を地面につけられない」「ベッドで寝ているだけでもかかとが痛い」状態だったとの事。


・・・そして一番問題なのは「基本的には治療方法が無い」という事。


ここで「基本的に」という表現をしたのは、方法が無くはないのです。
ただそれはステロイドホルモンの注射を続けて足底筋の断裂を促すというモノ。
そして、この治療法では痛みを低減することは出来ますが、完治することはありません。


さらに、この治療法を行うと最悪数ヶ月は復帰できなくなります。



事実、このシーズンにおけるヘンダーソンの試合出場数は「25試合」。
そしてやはり完治することは出来ず、翌年の出場数は「27試合」で過去最低出場のワンツーとなってしまいます。


・・・今でも彼は地面にかかとがつけられなくなるほどの激痛が再発する恐怖と戦いながら試合に出場しているのです。


では、なぜこの様な病気にヘンダーソンはなってしまったのか?
原因とされる一つの理由として「オーバーワーク」があるそうです。

彼はレッズの副キャプテン、キャプテンとして、
レッズのプレーヤーとして生き残る為に一体どれほどの努力をしてきたのでしょうか?



それこそ不治の病と戦いながら、様々な重圧を背負いながら、
それでもチームを鼓舞するその姿勢に、私は言葉を失ってしまいます・・・




【ポジションチェンジ】


足底筋膜炎という不治の病。
日常生活すらまともにできない状況。


もう中盤の心臓として走り回る彼を見ることはできないだろうと誰もが思いました。


「ジェラード、ランパード2世」と期待されたBox to Boxのプレーなんてできる訳がありません。
そんな状況に、15-16シーズンから指揮を取ることになったクロップもずいぶんと頭を悩ませた事でしょう。



しかし、クロップはヘンダーソンにあるポジションを推薦します。



それは「アンカー」。



Box to Boxのプレーほど激しく上下する動きもなく、
そして彼のインテリジェンスとフィード力が存分に活かせるポジション。


このポジションにて彼は新たな境地を見出します。


レッズのビルドアップの中心となり、
組み立てではほぼ彼を経由し、ディフェンスでもインターセプトや厳しい場面での激しいコンタクトを駆使し、
新たな「心臓」としてプレーしていました。



・・・ですが、そのプレーの裏側で並々ならぬ努力をしていたのは間違いありません。



しかし、努力のかいあって彼はそのアンカーポジションでイングランド代表のスタメンまで上り詰め、
そしてCL準優勝のキープレーヤーとして輝きました。




【Box to Boxとして】


18-19シーズンではもはや彼のファースト・ポジションは「アンカー」。
レッズの心臓であり、司令塔でした。


ただ、一方で彼ほどのクオリティーを持つプレーヤーが存在せず、
いつ起こるかわからない不治の病がファンを、チームを、そして何よりも彼を不安にさせていた事でしょう・・・


そこであるプレーヤーが入団します。



ファビーニョ



前情報も全く無い中での突然の移籍でしたので、
びっくりする一方でアンカーポジションに対しての不安が解消された様な気がしました。

ですが、その一方で新しい不安がよぎります。


ヘンダーソンはこのまま徐々に消えてしまうのでは無いだろうか?」


レッズのキャプテンが、あんなにも壁にぶつかり、その都度乗り越えてきたヘンダーソンが、
このままファビーニョの影に消えてしまう。


彼らもプロですからそれはしょうがない事なのですが、
実際に徐々にチームに馴染んでいくファビーニョがアンカーポジションを掴んでいくのを、心のどこかで引っかかりながら見ている自分がいました。



・・・しかし、4月10日のCLポルト戦。
彼がRCMFとしてフィールドに立っているのです。


「ありえない」
「もうRCMFとしては出来ないはずだ」
「怪我が再発したらどうするんだ?」


そんな不安を払拭するかのようなプレー。
そしてそのプレーは彼が不治の病にかかる前の「それ」でした。




「Box to Box」




もう・・・言葉になりませんでした。

そして、CL準決勝バルセロナ戦の「アンフィールドの奇跡」を起こし、
決勝のトッテナムを下してのCL優勝。


彼の苦悩が、努力が、報われたような気がしました。


鳴り物入りでレッズに入団したが、戦力外一歩手前まで追い詰められ、
それを克服し成長した矢先の不治の病。


それでも彼はその全てを乗り越えて、リバプールのキャプテンとしてビッグイヤーを掲げたのです。



そして彼は13-14シーズン、18-19シーズンでぶつかった壁を乗り越える為、
新しいシーズンに臨みます。


今までがそうだった様に、これからも彼はどんな苦悩や壁だって乗り越えていけることでしょう。


・・・さて、今回は彼のストーリーを書きましたが、
いつか彼のプレースタイルのストーリーも書いてみたいと思っています。

近いうちに更新すると思いますので、お手すきの際にご覧下さいませ。



それでは、また。